スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10月25日

こんばんわ

最近休みがないー というか

先週唯一休みだった土曜日は八景島シーパラダイスへ行き

来週唯一休みであるはずの木曜日はなぜか釣りに行くことになり

てんやわんや やんややんや

まあ実際は帰りが早かったり朝が遅かったりするので

そこまで睡眠時間とか体力的にきびしいわけではないのですが

家で一日ごろごろするだけの日がほしかったりする

別にいいですけどねー!ひーん

てかー!最近ちょう腹立ったこと

朝乗った電車に、痴漢かな?あ、ちがうか・・・いや?

やっぱ痴漢じゃないか…うーん、あ、もしかして痴漢?

くらいの雰囲気を醸し出している三十前後の男がいて

側にいる女の子は背のちっちゃい子でマスクしててうつむいている

駅について一回女の子はホームに降りたんだけども

男はぴったり女の子についてってて

女の子が乗ったらまたその側にぴったりついてく

で、あ、これ完全に痴漢だー、って思ったら

なんだかすっげえイライラしてきて

なんでこいつこんな健気な女の子のケツ触っとんねん、マジありえん

ってことででっかい駅に着いてみんな降りた際に腕掴んで

おいてめー自分のしてることわかってんのかよ

って俺は男に向かって言った

そしたらなんか、すんませんすんません、って

俺の方に頭下げて謝ってきて

いや謝るのは俺にじゃねーだろ、って思って女の子の方見たら

なんかちょっとおろおろしたあとお辞儀してすたこらさっさ

どっかへいってしまった

残されるのは三十過ぎの青ヒゲの男と

その二の腕をがっしりとつかんだ渡辺ポン太郎

もうなんか、喉の奥がきゅーってしまって

かなしくなってしまった

なんであんなに痴漢にいらいらしたんだろうね?ってことを

その日いちにち考えてたけど

俺もおしり触りたいのになんでこの男はこんなに堂々と触ってやがる

ふざけろ、っていう羨望嫉妬みたいなものなんだろうか

とか考えていたら余計に悲しくなってしまって

しょんぼりしていたよ

スーパーのお寿司買って帰って元気を取り戻しましたけどね!

あと最近よかった小説

川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」

日本の女の人によくいるような

マゾヒスティックでナルシスティックなパーソナリティの人が

情緒的体験を生きられないことで絶望的な孤独を抱えていて

そういう人が本当の意味で他者と出会い、

強烈にこころを揺り動かされる瞬間を書きぬいた物語だと思いました

あと、仕事バリバリで思考は理路整然としていて言いたいことは言う

その上美人で男にもモテるしわたしって完全勝ち組よね

でもそのことを周りの人には威張らないの、だって大人だし?

っていうかー、男に恋するなんてばかみたいだしー

まあセックスする男はいっぱいいるけど好きかって聞かれたら別にー

あと仕事できるからってそれがなに?って思えるわたしいいかんじー

みたいな、あーいるよねこういうやつ、っていう人間が

その実他人の粗さがしばかりに終始しており自分の情緒を凍りつかせていて

いかに倒錯的な世界に生きているか、孤独であるか

で、意外とこういう人の方が傷ついてたりするんだなー

ってことが書かれている

まあそうなんだろうなぁ

ともすれば後者の女の人はいやなかんじになってしまうんだけど

そういう人なりの寂しさがあるんだよ、と書かれているのが

この本の良さだと思います

先週くらいに出版されたばかりなので、是非是非
スポンサーサイト

10月1日

結局やること全然おわらない

自律的に時間を管理して仕事を推し進めることが苦手

aniviaが3150IPになってしまってかなしい

初めのゲームでいきなりaniviaミラーになって

完膚なきまでにぶちたおしてやりましたよ

やっぱ自分の使ったことあるチャンプは対策しやすいなー

もうなんか6300IPで買ってしまったことはどうしようもないので

おまえ安くなってから買ったんだろぷげらーって思われたらやだから

スキンでも買おうか 格の差を見せるか

俺のaniviaは6300だもんねーっ かすが

ってことですよ てか割とまじで最近スキン欲しいなー

9月30日

夏休みおわりー

今年の夏は結局あんまり遊べなかった気がする

オフとかも思ったより行けなかったなー

まあ誘われてないだけですけどね!ハー

最近はLOLを、まあちょこちょこやってるけど

ぜんぜんキャリー慣れしてないというのに最近になってようやく気付き

アニビアでミッドにいっぱいいってるけど勝ったり負けたり

でも自分がジャングルやるよりはかなり勝率いい気がする!

ていうか負ける時は他レーン速攻おられて

ミッドにどうしようもないgankとかそんなんされると

まじ心折れる オレノココロオレル

まーもう来週からほとんど土日休み無しの生活になるので

今週末は最後の休暇を満喫したいところですが

やることいっぱい 実際やるのちょっとだけ

アハーン!

7月24日

昨日より久々のまとまった休みとなりまして

寝呆けておりました

っていうか一個前の日記長すぎ

ぜんぜん書いた記憶ねぇし

コルサコフ症候群一歩手前

そして明日から旅行です

一泊だけど、車で あと俺運転だけど

8月9月はそこそこ休める予定です

予定は未定です

遊びたい

そうそう、ブラウザ代えたんすよ クロームに

そしたらtwitterが軽い軽い

誤ってtweenを消して以来、ブラウザで見ると重すぎて

携帯でたまにしか見てなかったtwitterを久々に見てたら

なんか獄卒の人たちでカラオケ行ってたらしい

ちょっとちょっとー、誘われてないんですけどー

そんなかんじの毎日です

超いきたかった

最近ヘビーローテーション踊れるようになったよ

AKBオタの女の子が僕にコスチュームを作ってくれるそうです

やったね!

あと最近、女の子がおべんとうつくってくれた

いいだろー!!

おべんと



研究室で

「あー腹がへった。まじ最近食費かかりすぎて

 ほんと困ってるんだよなー、弁当作ってこようかなー。

 けど朝起きるのつらいなー、誰か作ってくれないかな―。

 そんな優しい人普通いないよなー、お弁当のおかずはハンバーグ希望」

という独り言を呟いていたら哀れに思った優しい子が作ってくれました

このハンバーグうめぇんだぞ!チーズはいってんだぞ!チーズ!

ありがとうね

次はオムライスを希望しておきました



それじゃまた!

夏に遊べる人、遊びましょう!

あ、あと

自分のパーソナリティ傾向や、知能指数に興味がある方で

俺の心理検査の練習台になってくれる人いたら連絡ください

東京都内に限りますけれど、よければどうぞ

ふつうに検査すると一万円くらいかかるやつだけど

検査費、交通費、終わった後の飲み代等、俺がすべて負担します

ただし、勉強会などの資料として使用する可能性があるので

その点だけご了承いただければと思います

それじゃよろしく!

7月18日

あろはー

わたなべです

わたしは酔っぱらっている!!!!!

今日はひさびさに

レイトショーで映画をみてきたよ

ハリーポッターを

かっこいいねー、ゲイリーオールドマン

超あこがれる

あと最近みつけたかっちょいい曲

http://www.youtube.com/watch?v=pIHmGjyIRC8

四分あたりからの構成すごいいいー

たぶん俺がすごい真面目に音楽やってたら

こういうのを自分でやりたかっただろうなー

そう思う曲

そういえば先週の週刊文春みた?みねえよ普通

分析学会の会長さんである松なんとかさんが

雅子さまの主治医批判だとかなんとかいうことが書かれてて

俺としてはえらいこっちゃなんだけれども

っていうかこの記事を掲載した文春が

どういう意図で書いたもんなのかが、よー分からん

けれども俺としては、正しい事いってると思う

どういう治療が今おこなわれているかというと

認知行動療法(CBT)っていって、まあ最近はやってる心理療法で

さっきの記事に書かれてた主治医の慶応大学の大野さんって人が

そういうことである意味広告塔にもなったおかげで

今じゃ保険点数化もされちゃって

しかもようわからん国立認知行動療法センターとかもできちゃった。

東大とか早稲田でやってる心理療法は、もうほとんどCBTばっか(という噂)で

けっこう今をときめく心理療法って感じなわけ。

どういう内容かっていうと、その人の認知の枠組みを

適応的で生きやすいようなものに変えていくんだけどさ。

俺みたいなねじくれまがった人間からすれば

そんなことで簡単に変わるような患者なんてほっとけば勝手に治ると思うし

結局意識のすごい表層をちょちょいってやって

症状なくなったらはいおっけー、みたいな底の浅いもんだと思うのよ。

だいたい、精神疾患の文化的な意義っていうものを

考えない臨床家が多過ぎる、ほんとに。

そればべつに精神疾患に限った事じゃないけれど

病理を治療するっていうことが、どういうことなのかを

ちゃーんと考えないで臨床をやるっていうのは

猛烈に自分勝手なサディストでしょー、どう考えても。

とくに精神病理なんてその人の在り方に根源的に関わってくるものであって

言い方によっちゃあ我々は症状を出すことすらできない凡人なんだから

そういうことを含めて、人格全体を受け止めないとどうしようもないでしょー。

っていうか人格障害ってすげえ言葉だと思わない?

人格が障害って。personality disorderっていう言葉が最初に使われたのは

DSMっていうアメリカ精神医学会がつくった診断基準の中だったと思うけど

自分らが言っていることがどういうことか分かってるのかね。アメリカ人は。



閑話休題。

で、某雅子さまの治療としてCBTっていうもんが行われていて

いまじゃ京大の教授にもなってる松なんとか先生が

セミナーの中で批判したーとかいう記事が文春に載ってたんだけどさ。

俺もこの人のセミナーに前いったことがあって

ほんとにちゃんと臨床をやってる人だと俺は思うけどなぁ。

そしてなにより物を書くのが早い。仕事が早い。

本をいっぱい出している。翻訳もいっぱいある。

ちょっとしたご縁があって手紙を出したりするんだけど

返事がまじで早い。三日後くらいに来る。

字はあんまりきれじゃなかったけど。

まあでも実際他の現場とかオリエンテーションの中で

こころの臨床をやってる人からすれば

戯言ばっか言ってる時代遅れな人って感じなのかもね。

それは精神分析そのものが、ある意味で時代遅れだからなんだろうけど。

そもそも精神分析とは何なのか。っていうことを

酔った勢いで書きます!俺は書くぞ!興味ないやつは寝ろ!もしくは

ツタヤでレオンのDVDを借りてきて観て、ゲイリーオールドマンが

いかにかっこいいかっていう俺の独り言に付き合って下さい。



精神分析は1900年にフロイトによって創始された学問です。

だから出来てからまだ100年しか経ってない。

フロイトは精神分析という臨床に関する論点を、その著書の中で

ほぼすべて提起しているといってもいいです。

もちろんフロイトの死後に意味のある仕事をした人はいっぱいいるけど

その多くはフロイトによって既に触れられていたものです。

フロイトの創出した概念を超簡単にまとめれば

転移、逆転移

口唇期、肛門期、男根期、性器統裁

意識、無意識、前意識

生の本能と死の本能

自我、超自我、イド

などなど。いっぱいあります。

精神分析はひとつの人のこころの見方の体系であり、

俺にとってすごく着心地のいいもので、信頼しているものです。

また、よく哲学とか文学にちょちょいっと引っ張られて

用いられてることもよくあります。よく聞くでしょ?こういうの。

そんなことして何の意味があるのか知らないけど

そういう言葉を使っとくと賢そうに見えるんだろうね。

ある意味そのせいで精神分析の信頼が失われてしまったんだけれども。

けれども、精神分析というものは基本的に臨床的な営みです。

治療です。

フロイトはこの点についてかなり大きな仕事をしています。

フロイトは治療構造を厳密に定めました。

一回45分~50分で週四回以上、カウチの使用、

分析家は分析を受けなければならない、などなど。

カウチの使用は、元々フロイトが催眠療法やら前額法という治療を

していた名残なんだけれども、これはすごく重要です。

フロイトは「私は一日に八時間も患者から見られることに耐えられない。」

とか冗談っぽく言ってるけど、それ以上に意味のある設定だと思います。

けどその意味について語りだすと一日以上かかる。

あと時間を決めるというのも重要です。

ラカン派の精神分析っていうのがあるんだけど、

この人たちは時間を決めないで治療しているはずです。

けれどもそれだと、治療者の好き勝手に構造をいじれることになってしまって

あんまりよろしくない。これも語ってると長くなっちゃうのでやめます。

まあ、とりあえず最低限守るべきセッティングというのをフロイトが言って

これは未だに守られています。

一時期日本の精神分析協会では、分析家もきちんと分析を受けなきゃいけない

っていうものがちゃんと守られてない、っていうか

別に週1、2回でもいいじゃん、めんどいしっていう時代があって

そのときに国際精神分析協会から、こらっ!って怒られたことがあり

その時の学会がアムステルダムだったので、アムステルダムショックとして

今でも語り継がれています。

けっこう分析家の候補者はいたんだけど、

週4回はちょっと・・・っていう人が多くて結局今では

日本の精神分析家は30人くらいになっちゃいました。

松なんとかさんはその一人だし、俺が教わってる先生もそう。

分析家で教授やってる人なんてほんとに三人くらいしかいないので

大学とか特定しようと思ったらすぐできちゃうほどなんだけどね。

で、まあフロイトは1939年かそこらで死んでしまって

そのあとが大変。娘のアンナ・フロイトと

それからメラニー・クラインっていう人が対立しちゃって

コミュニティがばらばらになっちゃいます。

アンナは父親から精神分析を受けるっていうとんでもないことをされちゃった

不幸な人なんだけれども、ニューヨークで彼女なりに頑張って

自我心理学というのを新しくつくります。

クラインはイギリスで仕事をして、この人の考え方についていく人たちのことを

対象関係論学派っていうふうに呼びます。

二人とも医者でもなんでもない、ただの女の人です。

たしか二人とも大学を出てないです。

で、そういう二人のおばさんに分析業界は席巻されてた時期があったんだけど

その時にフランスで出てきたのが、かの悪名高いジャック・ラカンでした。

ラカン派の精神分析として今でも残ってるけど、

この人達は自我心理学がだいきらい。そんな人たち。

それでまた、そういう人達とは全く関係なく

流派を超えて自由に仕事しようよ、っていう人がいて

代表的なのがウィニコットです。アムステルダムショックで日本の精神分析協会に

派遣された使節団の団長でした。この人もものすごい人です。

今の精神分析でとりわけ影響力を持っており、オリジナル仕事をしているのは

フロイト、クライン、ウィニコット、そしてあとは

対象関係論学派のビオン、の四人だと思います。

ビオンもすごい人です。ほんとに。

一方自我心理学は、アメリカで50年代にものすごい流行って

一時期アメリカの精神医学の教授は全員自我心の教授だった。

けれども薬の開発が進んだら、自我心はあっというまに捨てられて

今ではほとんどやっている人がいない。アメリカはそういう国です。

今の日本には流派と呼べるほどの人数はいないけれども

世界的に見てみれば、対象関係論の影響がすごく残っています。

これがどういうものか、正確に簡単に説明するのは難しいんだけど

人間は最初は自己と他者の区別がつきません。

では幼児の世界に何があるかというと、自分と対象というもので

構成された世界です。

人間は、生まれた時から二つの本能を持っており

それを最初からインストールされている対象にぶつけることで生きていきます。

お母さんと乳児の関係を考えてみましょう。

乳児は最初、適切な世話を受ける、すなわち

お母さんが勝手におっぱいを赤ちゃんにあげることで、生きていけます。

けれども乳児はおっぱいが必要だってことを分かっていません。

なんだかわからんけれども生きていける、その万能感に浸っています。

けれども徐々に空腹というものを体験していく。

この空腹は、乳児には空腹として体験されません。

なぜならものがないnothingということが分からなくて、

ものがないno-thing、ということが体の中に起きている、

何か体の中から自分を攻撃しているものがいる、という理解をします。

ということは、べつに実証的に確認できることはないのだけれど

ひとつの仮説です。ここらへんが精神分析が実証的な自然科学と

折り合いのつかない理由のひとつなんだけれどね。

精神分析の中で語られている理論は須らくメタファーだし、

むしろ人間が語るもの全てがメタファーであるとすら考えていると思います。

メタファーの世界に私たちは普段暮らしているのです。

まあそれは良しとして、

赤ちゃんは空腹の不快感を感じると、泣きますよね。

これは赤ちゃんの攻撃性のひとつです。他人を不快にさせます。

けれどもお母さんは、赤ん坊が泣くとそれが空腹によるものだと分かります。

で、おっぱいをあげる。そうすると赤ちゃんは満足。

これで丸く収まりますね。

けれどもこのとき、お母さんはなぜ

赤ちゃんが空腹だという理解をすることができるのでしょうか。

もちろん、知識として赤ちゃんが泣いたらお腹が減っているので

おっぱいをあげなければいけないことを知っている。それもあるでしょう。

けれどもその過程は、必ずしもそういった象徴的なやりとりによってのみ

実行されているのではなくて、赤ちゃんが感じている不快感をお母さんの中に

投げ入れ、お母さんがそれを感じることで赤ちゃんの不快を理解する。

そういう風に精神分析は、とりわけクラインは考えました。

このとき大事なのは、お母さんが不快を感じ、それを理解できる形へと

変化させて赤ん坊の中に返した、ということです。

このプロセスを投影同一化といい、またこの母親の機能を

ビオンという分析家はコンテイニングと名づけました。

現在ほとんどの分析家がこの重要さを認識し、

またこの適切な母親のように臨床家はあるべきだと考えていると思います。

つまり、臨床家が自分のこころをつかうということです。

CBTはそういうことはないです。誰がやっても基本的には同じ結果でなければ

いけないっていうのが、自然科学の原則なので。

けど、精神分析はそうじゃないです。

分析家によって気になるところも違うだろうし、解釈も違うだろうし

ぜんぜん違った治療過程になると思います。

けれども、そうじゃないと人間は変化しない、特に無意識を想定した場合に

そうじゃなければ臨床をやれないのです。

だから共通な部分である、治療構造というのを厳密に定めているんです。

精神分析は、一つの技芸といってもいい。

人間的で、真に生き生きした空間というのを

クライエントと分析家で、創り出し体験するのが精神分析です。

そして精神分析は、その人の人格や、在り方そのものを

変化させるようなものじゃないです。

その人の人生がいかに狂ったものであるか、とりわけ転移関係というなかで

親との関係がどれほどおかしいものだったか、ということに

直面する営みです。

治療として症状が治まったり、生きていくのが楽になったりするのは

別に主たる目的ではなくて、精神分析という活動の副産物なんです。



さっきの赤ちゃんの話に戻ります。

赤ちゃんの中では最初、おっぱいが他の人の持ち物であるとは認識されず

それを部分対象として認識します。

それは赤ちゃんが最初から持って生まれた内的対象というものが

現実のおっぱいという外的対象と重なることによって意味を持つものです。

また、そのおっぱいは、もちろん客観的にはひとつのものなんだけど

赤ちゃんの中では自分を満たしてくれるという良い対象と

自分に空腹を感じさせる悪い対象の、別々に認識されます。

それが一つの同じものだということは分からずに。

このような人間の心的な機制を妄想分裂ポジションと呼び、

そこには、思考がなく、記憶もなく、時間という概念もなく

快と不快が猛烈に渦巻く世界です。

そこから赤ちゃんは徐々におっぱいが一つのものだと気づく。

自分に不安を感じさせていたものと快を感じさせていたものが

一つの同じものであったということに気づくのです。

このときの機制を、抑うつポジションといい、

また良い対象でもあったひとつの外的対象に向かって、

悪い対象だと思って向けていた攻撃性によってそれが壊されてしまうんじゃ

ないか、っていう不安を抑うつ不安っていいます。

このふたつのポジションのあいだを人間は行き来しています。



ナルシストという言葉があります。

もともとはギリシャ神話のナルキッソスからきてるんだけど

この言葉を人の在り様として最初に使い始めたのはフロイトです。

けれども、フロイト以降の分析家、とりわけクライニアンにとって

この言葉は重要な意味を持ちました。

人間には攻撃的な部分と依存的な部分があります。

それは死の本能と生の本能と言い換えてもいいもので

それぞれが、悪い対象と、良い対象に向けられることで

それらのエネルギーを消化していきます。

けれどもこのとき、その人と環境の関わり合いの中で

何らかの問題があったとき、正常に良い対象へと

依存できなくなるような場合があります。

このとき自身の攻撃的な部分が、依存的な部分を攻撃することで

依存的にならずになんとか生きていこうとするような人がいます。

てかいっぱいいます。こういう人は、周りはあんまり気付きません。

なぜならものすごく対人関係がうまいから。

慇懃無礼という言葉がありますが、外面がすごくいいんだけど

無意識では相手を人間だと思っていません。他者というものが

こういう人の中には存在しないのです。

そうすることでしか生きていけないから。

一般的なナルシストとはちがうけれども

こういう人のことをナルシスティックパーソナリティとして

精神分析は理解しています。

自分の生に対する満たされなさ、というのを相手に強烈に投げ込むため

こういう人と話していると、表面的には全然問題がないんだけど

なんだかちょっとイライラするようなことがあります。

そういうことでしか気付けないレベルのものです。

相手から魅力的に見られたり、自分に依存するようにさせたり

イライラさせたりすることでしか、他者とコミュニケートできず、また

自分というものを形作れない人達です。

いわゆる優等生タイプっていうと分かりやすいかもしれないけど。

他人は道具なのであって、他者というものがひとつの主体である、

なんていうことはこういう人達の中ではどうでもいいことなんです。

けれども内的対象の世界からぜんぜん出て来れないから、

すごく苦しい。だって生きているっていうことを体験できないから。

けど本人はそういうことに気付けない。



で、なんでこんなことを書いたかというと

俺が酔っぱらっているから、というのもひとつなんだけど

松なんとか先生は、雅なんとかさんが

こういう感じだと考えているんだと俺は思うからであり、

CBTなんかじゃ確かにどうにもならんと思うんだけれども。

だって他の人やものを基本的にばかにしてるし、

周りからどう見られるか、ということにしか興味がない、

自分の本音とかもあんまり主張せずに、他の人との衝突によって

感情が動かされるのを回避する傾向にある。なぜならそうすると

他者が他者であるということに気づくことになってしまうので

そういうのを先回り的に回避する。

こういうところで、なんとかがつんと怒ってくれる人が

必要だと思うけどなぁ。けどこういう人ってそこが巧妙で

よく居るのが「私にはそういう人が必要だったんですー」なんて

口では言うんだけど結局そうやって迎合的であることで

そういった感情の衝突を合理化によって回避するっていう

態度の人、困っちゃうよね。だからほんとに治療しようとしたら

十年くらいはかかると思うけど。

まあCBTもやらないよりはいいんかね。

なんか色々言いすぎて不安になってきたのでCBTをフォロー。

いっぱい書いたな今日!!

酔っぱらっているね。

何時間くらい書いてたんだろう?よくわかんないや

寝るー
プロフィール

渡辺ポン太郎

Author:渡辺ポン太郎
コンニチワワ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。